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人材マネジメント部会へ期待すること:京都府和束町総務課 中嶋浩喜氏

2014年度人材マネジメント部会に初参加の京都府和束町総務課長 中嶋浩喜氏から、部会へ期待することをお伺いいたしました。
・今年度初めて、人材マネジメント部会に課長補佐クラスの職員3名が参加する
・和束町は人口4,400人、高齢化率36%。少子高齢化と過疎化が進んでいる小さな自治体
・過日の新聞報道でもあったように、「2040年消滅可能性都市」の上位にランク入りしている
・よって、まちづくりの最重要課題は、「持続するまちをいかに作るか」
・この課題解決を担っていくのは今回参加の3名だと確信している

▼早稲田大学マニフェスト研究所人材マネジメント部会
http://www.maniken.jp/jinzai/

『自分の可能性を拡げる「自信」の持ち方』

随分とアップデートに時間を要してしまいました。私の仕事の関係上、1年のうちで何回か多忙な時があり、この時期はまさにそうなのです。少し落ち着きを取り戻しましたので、過日より思うところを記してみようと思います。

今日のテーマは「自信の持ち方」ということです。

自分にはまだ経験がたりない、能力が追い付いていない、故に自信などとうてい持つことはできない、というように考える方は少なくないように思います。かくいう私自身も社会人として日の浅い20代のころはそのように考えていたように思います。

様々な経験を経た今、より一層社会で活躍したいと願っておられる若手・中堅の方々に対して申し上げたいのは、「まず自信を持つようにしませんか?」ということです。

なぜそうなのでしょうか。誰に対してもその言葉が当てはまると考えてのことでしょうか。

端的に申せば、順序を逆にしてみましょう、という提案なのです。

十分な能力が身に付いたら自信を持とう、長い経験を積むことができたら自信を持とう…等、多くの人々がそのように考えて(考え過ぎて)おられると思うのです。

どこまでの能力を身につければ自信がつくのか、どの程度の経験であれば大手をふって自信があるといえるのか・・・、そのような基準など、人生の中で実は誰も示してはくれません。

一流のビジネススクールでMBA(経営学修士号)でも取得したら自信を持つことができるのでしょうか。私はそうは思いません。私自身もMBA自体は取得しましたが、クラスメートの顔ぶれを思い返すに、現実社会でそのまま通用するような修了生は多くなかったと断言できます。当然一定のスキルは身につくとしても、人としての”深み”に欠けると申しますか、そもそもの”志”のようなものが感じられずに、ただ頭でっかちの人材を輩出している傾向が多くありました(その部分の育成をスキップしたとしても、MBAは取得できてしまうようなのです)。

”志”から始まる”深み”は、できるかどうかわからない中で自らの内から湧いてくる、未来への希望のようなものが本質なのだと思います。経験が浅くとも、若すぎると感じる年代であったとしても、”志”は持つことができます。要するに、”志”を持とうとするか否か、心の中から湧いてくる、未来への希望に焦点を当てようとするか否か、が重要なのだと思うのです。知識やスキルに偏重した教育の場ではそこに真摯な問いかけが不足してしまうのだと私は思います。

MBAプログラムという”非日常空間”の、対極にあるともいえる”現場経験”を想像してみます。

例えばですが、10年という期間、経験を積むことができたら自信を持ってよいのでしょうか。私は断言できないと思います。なぜなら、経験というものはあくまでも自分の中に蓄積されるものであって、客観的に測定できるものでなく、そこから何を学んだのかという要素によって、重み・深みも大きく変化するからです。

確実に「自信」に繋がる経験があるとすれば、それはお客様からの評価であると思います。「あなたはこれまで難しい場面で一生懸命私たちのために取り組んでくれた。それは大きな安心を与えてくれるものだった。あなたのこれまでの努力と貢献に心から感謝したい…」そのような評価をお客様からいただけたとするなら、それは確かに「自信」を深めるに値することだと思います。

自信を深めるに値する経験や能力・・・それはすべて客観的な評価が介在するものです。MBAプログラムを修了せずとも、日々の実践の中で、お客様や取引先など、社内・組織内とは違う基準で自分の仕事の質を評価いただける方々が居られたとして、高評価が続いたとすればそれは「自信」を深める出来事以外の何物でもありません。

では、そのような経験を経なければ「自信」は持てない・深められないということでしょうか。私はそれも少し違うように思います。

自分に自信を持つ、ということのスタートラインには、自らの可能性に目を向けていくこと、きっと自分はやっていける・頑張れる、とポジティブに信じることがあるはず、と思うのです。

自分の可能性を信じることができない人は、いつまで経っても自分自身がはじめから持ちあわせている良さ(持ち味)を見つけ出すことが困難です。周囲から見れば素晴らしいと思える事でも、自らはとてもそうは思えず、むしろ未熟な(と思える)側面ばかりに目が向いてしまうのです。

それが自分自身の中だけに留まるならそれも良いでしょう。問題なのはそのような人材にはいつまでも笑顔が浮かぶことが無い、ということなのです。常に不足を感じるがゆえに、自分に満足することがない、自分の中にたくさんある良さ(持ち味)を見過ごすが故に、表情が常に厳しいままなのです。”目の奥”に光がなく、自然な笑顔・本当の笑顔がそもそも表れないのです。

果たしてそのような人のまわりに、人が集まってくることがあるのでしょうか。

自分が決めた基準を優先するがあまり、自分自身にも厳しくなり、笑顔に無縁なままで居ることを憶えた人材。そんな人の傍に居たい・一緒に働きたい、と思う人が世の中にどれだけ居るでしょうか。息がつまるところに居たいと思う人など、居ないのではないでしょうか?

自分がもともと持ちあわせている可能性を信じましょう。そこから始めましょう。なぜなら、自分には他の人にない良いところがあるからです。他の人材が得意でない何かを持っているからです。

他の人の得意なところを認め、敬い、学びつつ、そのような人とのチームワークの中で自分が持つ持ち味を上手く活かしていくことができるなら、それはまさしく最高ですよね!

そうやって人生は成り立っているのだと私は思います。誰か一人の力で問題が解決し、未来が創られていくのではありません。各自が自分の持ち味を出し合って助け合い、その連携協業の中で大きな何かを成し遂げていくのです。眉間にしわを寄せ、自己満足に浸る余裕があるのであれば、外に出て、人と触れ合い、自分が貢献できることをしましょう。自分より優れたところを持つ人を思いきり褒めてあげましょう。そんな瞬間から何が生まれ始めるのではないかと、私は思います。

そして、結局のところ気づくのですね。自分の「自信」などというものは、そのような日々の中でいつの間にか身に付き、深められていくものなのだ!ということに…。

『ほんとうの笑顔を!~私の願い~』

人は喜怒哀楽を感じる自由を持っています。喜びを素直に表したくなる
ときがありますし、何かに腹が立てば怒りたくなり、また、哀しみにも
浸りたくなる瞬間も、無性に楽しくて、思わず!笑顔になることもあり
ましょう。それらはすべてとても人間らしいことであって、生きてるな
という実感があるものですよね。

しかし、私たちの日常を考えてみると、その素直な表現ができない場所
が幾つかあるように思います。中でもよい大人にとって一番身近であり、
一番病んでいるようにも思えるところ。それは、おそらく「職場」なの
ではないかと思います。

いえいえ、自分が通っている「職場」は、喜怒哀楽など素直に表現でき
ますよ、と語る方は幸せだと思います。月曜の朝、勇んで行きたくなる
程ですか?と問われると、いやそこまでではないですが…でも確かに、
嫌ではないですよねと話す、そんな感じの方はいらっしゃると思います
し、きっと幸せな日々を送っておられることでしょう。

では、何が「職場」に”差”を生むのでしょうか。何が喜怒哀楽を素直に
表現でき、思わず笑顔になれるような場をつくっていくのでしょうか。
私はそれが「人材マネジメント」であると思うのです。

人を笑顔にできる技術、ほんとうの笑顔をつくる技術。私が定義する
「人材マネジメント」とは人の”ほんとうの笑顔”をつくるものです。

ではその「人材マネジメント」とはどのようなものか、発想の原点だけ
ですが、以下に少し記してみたいと思います。

++++

人は生きている間でさまざまな問題に出会い、解決への努力をしつつ、
さらなる難儀に日々遭遇していくものです。「職場」という人の集まり
においては、それらが複雑に絡み合い、一筋縄ではいかない日々が続く
ものだとも思います。

そのような場所にあって、人の”笑顔”をつくっていけるもの。それは、
以下のようなものなのではないか、と私は思っています。

  1.自分達が取り組むに値する、意味のある目標
  2.進んでやっていきたくなる、意味のある苦労
  3.自分達の成長機会としての、意味のある失敗
  4.自分達の未来を信じられる、意味のある成功
  5.社会・顧客の喜びを感じる、意味のある成果

何に取り組むにおいても、たしかにそうだな、と思える「意味づけ」が
あることで人は、元気にも、前向きにもなれます。

自分達にとって「意味を感じる何か」があるとき、それに共感できる
とき人は「もう一頑張りしてみよう」と思うでしょう。そのような人
の顔には”笑顔”すら浮かんでいるのではないか、「ほんとうの笑顔」
とはそのようなものなのではないか、と私は思うのですね。

ではそのような「意味づけ」は誰によってなされるのでしょうか。
それはその職場の「長=リーダー」に他なりません。

リーダーの言葉・姿勢・所作などが一体となって、職場の状況や対処
する物事を「意味づけ」ていくのです。

もちろんそのリーダー自身の視野が狭く、言葉が借り物で、明らかに
私心ありきで、誰からも尊敬されない価値観の持ち主であるとすれば
「意味づけ」られることにメンバーは納得も共感もできないはずです。
リーダーだけが知らぬ間に浮き上がり、メンバーから信頼されること
も、メンバーが喜怒哀楽を素直に表現することもなく、負のサイクル
で職場を疲弊させていくことでしょう。

私は経営教育という自分自身の専門境域で、共感を育む「意味づけ」
のできる人材(リーダー)を育てることにコミットしています。

★ 視点高く視野が広く、自らの言葉で語り、私心からではなく公の
使命感をもとに、何ごとにおいても本質的で、人の共感を喚起しうる
「意味づけ」ができる人材を、この世の中に多く輩出していきたい。

★ 望ましい人材マネジメントはそのようなリーダーによってなされ
ていくと信じ、”ほんとうの笑顔”を社会全体に多くの組織に拡げる核
をつくっていきたい。

自らが生業として取り組む「官民組織における幹部向教育やコンサル
ティング」或いは、自治体の変革を狙いとした「早稲田大学マニフェ
スト研究所・人材マネジメント部会」における同志との活動を通じ、
私は自分にできるすべてのことで貢献していきたいと思います。