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『”やらされ感”の払しょく』

民間企業、あるいは自治体組織においても、”やらされ感”の払しょくというテーマ
をよく耳にします。たしかに”やらされ感”でする仕事は楽しくありませんし、その
結果や成果も、おそらくは”適当”なレベルに留まるのではないか、と思われます。
では、”やらされ感”と無縁になっていくためには、どうすればよいのでしょうか。

私は結局、スピードを上げること、に尽きるのではないかと思うのですね。

取り組まなければならない事務作業や、本心から望んでいない、上からの指示・命令
で始めていく業務など、”やらされ感”に陥りがちな仕事やきっかけはヤマのように
あります。しかし、それをゆっくり取りかかっていくのか、それこそ何よりも早めに
取りかかっていくのか、によって大きな違いが生まれると思うのです。

もちろん、ただでさえ多忙なときに、新しく押し付けられた仕事に取りかかれる余裕
がまず無いのだ、ということはありますね。そうやってどんどん自分の仕事のリスト
が増大していくこと自体が嫌で嫌でしょうがない!という方も少なくないでしょう。

しかし、そここそが考えどころではないか、と私は思います。

嫌だな、と思えることにまず取り掛かり、半分、否、三分の一でも終わらせてしまう
のです。そこの部分のスピードを強く意識し、できるだけ早く半分近くまで終了させ
てしまうこと。それが私が意図する、スピードを上げること、なのです。

半分まで終わらせることの、何がメリットだと言えるのでしょうか。私は少なくとも
3つのメリットが実感できる、と思っています。

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1.あとどれぐらいの時間で完了させることができるか、が手にとるように判る

2.自分がこれをやり続けるべきか、他の人を巻き込んで続けていくべきかが判る

3.指示された上司に、改めて経過を説明し、他の優先度を下げてでも続けるべきか
  の判断を、冷静に仰ぐことができる
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要するに、途中まで自分の手でやり終えることによって、その仕事を”自分のもの”
にすることができる、ということなのですね。

何もやっていない段階の”混乱・困惑”状態ではなく、自分のものとして考えること
ができるようになる、ということです。周囲や上司までを意識に入れながら、その先
どう立ち居ふるまうことが、自分自身も職場全体も、そして自分たちのお客さまにも
望ましい状態をつくることができるのか、を冷静に判断していくことができるように
なる、と私は考えるのです。

やってみて初めて見えてくるものも多いと言えます。つまらない、と見えていた仕事
が意外に面白いと思えたり、自分には向いていないなと思えた仕事が、自らの意外な
適性を発見する機会を与えてくれたり。

何にせよ、やってみて初めてわかることの方が、むしろ多いのではないでしょうか。

仕事は次から次に出てきます。それに押し流されそうになる気持ちは誰にもあるもの
だと思います。しかし、そこで発想を変え、スピードを上げて”半分”取り組んでみ
るということで、見えてくるものがあるのではないか、と私は思うのです。

と、ここで重大な疑問がひとつ提起されるでしょう。「そもそも、取り掛かりと半分
終わらせるまでのスピードを上げられる人は、”やらされ感”など最初から感じない
人なのではないか?」

まさにその通り、と私は思います。要するに、”やらされ感”とは、”一歩前に出る
勇気があるかないか”だけが問題であり、そこに山のような理屈やロジックは存在し
ない、のです。自分自身が(勝手に!)作り上げる妄想のようなプレッシャーを前に
して、心が立ちすくんでしまう状態が、”やらされ感”の本質であり、結局自分自身
で創造したものでしかなく、やはり自分自身で超越していかねばならないこと、なの
だと思うのです。

人間には恐怖心がありますし、何ごとをもネガティブに捉えるクセも相当強いですね。
それを乗り越え、一歩前に出てやってみて、経験をもとに後でしっかり考えるという
順序は、なかなか難しい習慣づけなのだろうと思います。

しかし、自分自身も、職場も、お客さまもすべてが望ましい状態に到達していくため
の”突破口”はそこにしかありません。

組織の変革は、一人ひとりの心の中で、ちょっとだけの勇気を持つことから始まって
いくのだと私は確信します。スピードを上げる、という別の表現をした理由は、その
言葉のほうが余計な思考を交えず、身体のほうから自然と動きが始まっていくだろう
という経験知から、です。皆さん、よろしければお試しください。